アートとビジネスの狭間

マスマーケティングって何かを再考してみました。

アートとビジネスの狭間

アーティストと称している人は知っている人でもいるし、世にもたくさんいます。

伝統工芸やそれこそ物販をしている人でも、いい物を作っていれば売れると言う事を平気で言っている人がいます。

他方、アーティストとして祭り上げて貰いポップアートやオタクをアートにしたという人でも、それをビジネスの現場に持ってくると失敗するケースが多い。

コレはアーティストは納期という定められた期間内に制作物を仕上げ提供すると言う事が少ないからなのかな?と思ってします。

別にアートはアートでその素晴らしい技法や、その人でしか表現できない世界などを見せていただく貴重な機会ではあるけれど、ビジネスとは根本として役割が違うと言えます。

アートは消費されるものではなく、永続性のあるモノであって一点一点の価値がより高付加価値であって、手に入らなければ入らないほどその価値は上がります。

ただ、その表現が万人に本当に理解されるかと言えば、実は少し違うと言う事も言えます。

アートはそうした意味では、その表現を認めるものとその表現をするものの理解をつなぐクローズドなマーケットで一般的に認知される必要がない権威的なマーケットと言う事になります。

そして、確かに個展などがあってそのゴールに向けて制作を行う必要はあるでしょうけど、ビジネスのように短期で製品化を行い、販売をすると言ったスケジュールとは明らかに重しが違います。

アートとビジネスの対比

ビジネスになった場合は、製品を販売するまでに

  • 製品化するためにマーケットのニーズを探る
  • 製品の性能をニーズにマッチさせる
  • 性能にあわせて製品を設計する
  • 設計にあわせてデザインする
  • 製造するために部材を仕入れる
  • 仕入れる原価から製造コストを算定する
  • 営業(販売)のための宣伝準備
  • 宣伝を開始して根回し
  • 製造を流通に流す
  • 店頭にならべる
  • 販売開始
  • 広告宣伝を行う

と言った具合に段階に応じてたくさんの人が関わり、販売をしていきます。

これはどんなビジネスの分野でも同じです。

確かにアートの場合も個展などはその作家の作品を売るために開くわけですから、同じように人が関わったりしますが、営業なども限られているし、その作家自体をスターとしてアイコン化して作品の価値をブーストして販売をして価値を高価格化して(1点モノだから特に高額になる)提供するという仕組みで売るわけです。

アートの場合は、そうした意味で、関わる人数はもっと限定的でメディアタイアップなどがついているアーティスト以外はもっと少人数で少ないロットの作品や印刷された小ロット作品を売れる数だけ作ると言う事になり、全体的な経済規模が違うという意味もあります。

新風を吹き込んでいる絵本作家

批判をうまく使い炎上をマーケティングとしてとらえて話題性を振りまいて作品を売ると言うことに徹底化している作家としてキングコングの西野さんがいる。

芸人オンリーだったときには単にTwitterで炎上ネタを振りまくだけだしたが、その経験を作家という側面で活動を初めてからうまく活用している。

ただ、この辺りは、罵詈雑言や批判、ネガティブな意見といったものを如何にシャットアウトしたり躱すか、反証出来るだけの露出力があるから成立しているとも言えます。

メディチ家なんて、いねーぞ。

このメディチ家なんていないってのはもっとも。

日本のアートの場合は、企業にサポートを受けたり買い上げて貰ったり販路を持っている大手の画廊が作品を売るって形で、持っているような気がします。

この辺りは知見が足りないので正解かはわかりかねますが、ヨーロッパのアートというものはそれこそ、貴族のためのアートという商品を製造し、貴族の満足を満たすための絵なり音楽なりだったわけで、アートというものが大衆化したのは本当に近年(戦後安定して)からでした。

博物館が作られ、より多くの人が自由に絵画を楽しみ、音楽を楽しむ環境になってから初めて大衆化しました。

しかし、大衆化した故に貴族といったパトロン文化というものは陰を潜め、そうした支援は企業に成り代わっていきました。

また、コマーシャルとも結びつき、アートはアイコン化され特に近代の芸術は広告の一部として存在しているといっても過言ではないと筆者は思います。

この辺りはアートを志している方や実際に活動されている方は違うとおっしゃるかもしれませんが、マーケティングやビジネスという面から考えればコレは明らかな事実とも言えます。

ただ、西野さんの絵本はアートどうこうや出版どうこうといった事に立ち向かって自分なりのマーケティングやアイコン化しやすい自分のキャラクターを最大限に利用した販売戦略を持っているので、はじめに自分で1000冊買って売り上げを立てると言った事や、売れていると言う事実を作る事で、本気で売ろうとしている気持ちや行動は素晴らしい行動だと思います。

コレは、要するに作家になりたい人、アート作品を作りたい人、伝統工芸の小ロットの製品を作って売っている人、は本当は作った後にこうした販売活動をするべきです。

今は、売りたい商品は山のようにたくさんある。

そして、どれがいい物か?という判断はだれがするのか?

それは消費者が行うのです。

作っている側は忘れがちなのですが、いい物というのは購入した人が初めて良いといって価値が生まれる世になっているわけです。

貴族が費用を出して書かせていた時代は、そのアーティストの生活のすべてを面倒を見て金を与え庇護をしてきた時代では、アーティストです!といっていて絵を書いていると言えばその貴族が良い物であるとお墨付きを与えていたわけです。

しかし、現代では、良い物という判断は完全に消費者がするわけで、その消費者に届かなければ作った側が良い物と言い張っても実は良い物ではないと言う事になってしまいます。

売れているものが良い物?

ここまで読んでくると、じゃあ、良い物は売れているもの?と思ってしまうかもしれません。

売れている物というのは実は演出する事が出来ます。

新商品という看板を掲げて女優さんや男優さんがかっこいい・美しい姿でこうなれますよという演出や多くの人が手に取っていると言う風に演出をするために大量に安価に製品を流通させ数を販売して販売実績を作る事で売れているという演出をします。

ただ、こうした商品がすべて良い製品なのか?というと実は違います。

多くの人が手に取りやすい価格で、それなりの性能を持ち、ニーズに合わせた見た目を装い、演出をして多くの人に売る。

コレをマスマーケティングというわけです。

高度経済成長期を過ぎ、多くの人にモノを届ける事が出来るようになり、多くの人が使っているモノが良い物であるように錯覚をする事で大企業の製品は良い物と認知されるわけです。

だから、実際には、マスマーケティングで販売されていて売れている物は良い物と言うよりも使えるモノと言った方がいいでしょう。

そんな中で売れているものの中でも良い物はあります。

それは大抵、品薄で手に入りにくく、多くの人が求めているが入手が難しい。

コレが実質的に良い物であり、売れている物の中でも価値が高いモノとも言えます。

まとめ

このように、自分が良い物を作ったと考えた場合でも、売れていると言う事実がなければ世間は良い物と認識をしてくれません。

そして、良い物で売れる物はきちんと販売戦略を持って売りニーズに合わせてその商品をブラッシュアップを続けていけるのはWebの製品であると言う事も言えます。

なぜなら、Webの製品は作って流通させた後でも、その利用者の声を聞いて不足している部分やわかりにくいといった部分を補完ないし、修正する事も出来るからです。

そこには、嘘があってはならないし、経験から導き出された知識というモノには嘘も本物もないと言えます。

コエカレでは作って終わりではなく、コースに加入してくれた学生とコミュニケーションを取りながら、そのコースの理解度をアップさせるためにブラッシュアップする事も可能です。

また、一度公開された知識というモノはそれで完成というものは真実ではないと思います。

知識というモノは新しい経験を得続けて、能力を磨き知見を広めていく事で自己研鑽をした結果が学生に提供するべき知識と考えていますので、そうした活用をしていただければ幸いです。

追記

アート作品を見るのもそうした作品の空気に触れるのも好きですが、正直、自分にはアートの完成は多分にしてわからないところもあり、特にポップアートや現代芸術という風に言われるものって余計にわからない部分もあるので、不理解ではあるかと思いますが、ちょっとそういった意味で、良い物を作る事で売れるという風に勘違いをしている類例のたぐいとして比肩をさせていただきました。

気分を害したらすみません。

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