イノベーションを起こすときに○○は未来はないって言い方しかできないサービスは駄目なのでは?
キャッチコピーで、東京で暮らし続ける人には未来はない。「金融の時代は終わった農業をやろう!」というコピーをみつけました。
これは2重の否定から始まっています。
このため、東京に暮らしている人の反感を買うかも知れません。
また、金融の時代は終わった。と言う部分。この部分については、そもそも金融に従事していない人は関係がないとおもってしまうし、農業をやろうは飛躍になってしまう感じを受けてしまいます。
つまり、このキャッチコピーはあまりいいキャッチコピーとは言えないのではないでしょうか?
キャッチコピーは短い言葉で問題を提起して、その解決策としてこんなモノあるよというビジョンを合わせて提示する広告手法ではありますが、下手なキャッチコピーはイメージをダイレクトに表したくなってしまい、まず、否定をしてしまうケースが多いように思います。
実際には、いいキャッチコピーは想像力をかき立てるような言葉や、提案にあふれており否定よりも選択肢の提案やどんな時に行うべきなのか?と言った事を提供しています。
ですから、東京で暮らし続ける人には未来はない。「金融の時代は終わった農業をやろう!」というコピーには否定が提案を打ち負かしてしまっている印象を持ってしまいます。
また、よく自分ではいいことや、自信をもってこれが出来るという人、俺は永遠にネタがなくてもしゃべり続ける事ができるとか、お前に言われたくないといったように否定から入っている事を意識せずにいる人が居ます。
これを俯瞰してみると実際には欠点を言っているだけでもあるんだろうと思います。
- 永遠にしゃべれる=面白いとは言えないけどね
- お前に言われたくない=俺もそうだから
などといった感じで思っていればいいですが何も考えていないことが多いように思われます。
つまり、否定をしてしまうだけの質問は「考えてしゃべっていない、反射だけの言葉」なのだと思います。
こうした言葉には重みがないので伝わってくるコトバがないと思います。
そうした言説しかとれない人の意見や考えは受け入れがたいのが人間ではないでしょうか?
意見の違いやイメージを提供して理解の壁を乗り越えるには、実はその「コトバや問題」を聞く人、見る人が何が問題かを明確にしてお互いの立場をハッキリさせ、その中で実現したい事を双方で把握してそのために実行すべきことを手ほどきしていく事が一番の早道と言えます。
「いい質問」を引き出すにしても「いい質問」をするにしても否定は駄目
例えば
「なんでそんな事ができないんだ?」
こんな事を言われたことはないでしょうか?
私自身もつい言ってしまうこともありますが、そんな時には「なんでそんな事が出来ないのか理解出来ないので教えてください」ともっととげを磨き上げて言ってしまうことがあります。
ただ、質問を引き出す場合
何を?
誰に?
どのように?
どうしたくて?
そのためにすること?
だから、どう変えるのか?
といった深掘りをしていくステップがあるわけで、その前に「なんでそんな事ができないんだ?」では、相手は「不勉強で申し訳ない。」「知りませんでした」といった回答しかなく、それ以上の質問が出にくくなってしまいます。
また、こうした素直な回答が出来ない人や下手なプライドを持っている人は、自分が傷つけられたとか侮辱されたといった感覚を受けて、勝手に傷ついてしまいます。
つまり、「なんでそんな事ができないんだ?」という否定は相手を傷つけるだけなのだと知る事が大事です。
そして、否定するだけの質問は何も生み出しません。
ただ、傷ついた!侮辱された!という回答も相手の質問を否定しているだけであって、そんなつまらないプライドは捨ててしまった方が、学ぶべきを学ぶ場合には役に立つことが多いです。
学ぶ際には、まず、自分は知らないのだから、それを教えて貰っているわけであって、その理解度を測るために教授する側はそのレベルを知ろうとします。
だから、質問する側も、回答する側も自分のレベルを把握して、「全く知らない」「このくらいは知っている」「これは知っているが正しいか?」といったように自分の知識をお互いに共有して問題点を明確化する事で、問題自体をハッキリさせる事が出来るのではないでしょうか。
質問者は自分の聞いていることを理解してない場合が多い
思慮が浅かったり、そのときに出たアイデアだけで質問をしてきたり疑問を持ったりするので、そんな質問が来たときには、なんでそれを実行したいのか?それによってどんな事を実現したいのか?また、その施策を受ける人(ユーザー)にはどんなメリットを与えたいのか?と言う事で、他の類似サービスや、事例を持って解説する事が一般的でしょう。
本来は、ゼロベースで知らない前提で質問をするべきであって、回答する側も、そのレベルに応じた回答をするよりも何も知らない人に対して回答をするような問題と答えの提示があればいいのですが、案外質問者は、「知ったかぶる」のです。
自分の知っている事、実現したい事を高レベルで知っている感覚で質問をする場合が多いので、そうした質問に対しては、何故その質問をしたのか?何を知りたいのか?その結果、誰に何を提供して、実現するべき事はなんなのか?を聞く必要があります。
このように質問をする側も、問題を提示する側も、その回答をする際に自分の知識を反復してどういった事を実現したいのかを引き出して、答えを提示する問題や解答というモノが優れた「いい質問」と言えるのではないでしょうか?
この辺りがコミュニケーションの伴った学習環境なのだと思いますし、コエカレでは各コースの最後にその問題についての質問をインストラクターに提示する事ができオープンなコミュニケーションをコース内限定で行っていただけます。
コース内において、問題の提起やその回答を公開する事で、質問をする側も回答をする側も磨かれて知識の精度を向上していただけるのではないでしょうか?
こうした疑問質問についての機能も利用していただければ幸いです。
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